こちら庄内平野ど真ん中の人間。庄内の自然豊かで芳醇な文化、人々の暮らしを気ままにつづっています。
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琴引浜」(京都府)、「琴ヶ浜」(石川県)、「十八鳴浜」(宮城県)は鳴き砂で有名な浜である。
きれいな砂浜がつづく
砂浜をすり足で歩くと”キュッキュッ”と鳴ることから「琴引浜」と呼ばれ、たいへん美しい名前がついている。昔から「琴弾浜」や「琴曳浜」などとも書かれ、鳴き砂の音を琴の音にたとえて聞いたことから名付けられた。保護運動、啓発活動も活発
 鳴き砂は、石英の砂の粒同士がこすれあい振動しあって音が出るので、砂がきれいであることが必須の条件である。また、この浜の中ほどの岩場付近は、足踏みをすると地下の岩盤にこだましてドンドンと太鼓をたたく音がするため、太鼓浜(たいこばま)とも呼ばれているところもある。
 鳴き砂のメカニズムは、粒ぞろいである
粒ぞろいの石英質の砂に、急激な力が加えられたときの摩擦によるきしみの音である。また、構成する砂粒の大きさもほぼ同じで、全体に丸みを帯びていないと鳴らない。そして、少しでもゴミが混ざっていてはいけない。
 春先にはいい音がするというので、出かけてみた。冬の荒波できれいに洗われた砂から聞こえてくる音は、砂がこすれ合う音には聞こえないないから不思議な気分になる。
 鳴き砂で有名な砂浜は全国でも20カ所ほどあるが、「琴引浜」だけが「全国白砂青松百選」「日本の音風景百選」「日本の渚百選」の三つの百選に選ばれている。

 戦国時代の武将細川幽斎(田辺城主)や、その子忠興の妻ガラシャが"琴引浜"や"太鼓浜"を和歌に詠んでいる。
 ◇細川幽斎
 「根上りの 松に五色の 糸かけ津 琴引き遊ぶ 三津の浦浜
 ◇細川ガラシャ
 「名に高き 太鼓の浜に 聞く秋の 遠にも渡る 秋の夕さめ



今が正念場。がんばります。





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【2006/03/31 05:42】 | 諸々雑感
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 といえば結婚式等の慶事の時に出される「さくら湯」を思い起こす方も多いのではないか。 わたしが、先日、ある中学校の卒業式の取材に出向いたとき、わたくしごときにもお祝いなのでと差し出してくれたのが「さくら湯」。ふたをあけてびっくり。甘い香りが漂ってきたからだ。作法がわからず最初は躊躇しながら、しかしながら大変美味しくいただいた。本当におめでたいという気分にさせてくれるから不思議だ。
 この「さくら湯」、いつでも湯を注ぐだけでさくらの花を咲かせることが出来て、春の喜びを感じさせてくれるし、新たな旅立ちにはまさにぴったり。独特の風味はからだに効く
 「さくら湯」や「さくら餅」にして「さくら」楽しんでいるとと、ほんのりとした香りから、安らぎをいただいているような気分になってくる。あの有名な江戸時代に活躍した漢方医の華岡青州もその効能には注目していたという。ヤマザクラの木の皮を乾燥させたものを桜皮と称して薬にしていた。しゃっくりや下痢、キノコにあたった時などに桜皮を黒焼きにして煎じたものを服用するとか、打撲の時に煎液を付けるなどの療法があった。成分的には、桜皮にはフラボノイド系の成分が含まれているとか言われている。
 桜皮と花弁の違いはあるけど、「さくら湯」の独特の風味ある香りが、心身ともに健康になれるような気分にさせてくれる。さくらは、目で愛でてよし、飲んでよし、いただいてよしと、古代から、人々の生活に寸陰の癒しをしてくれる薬草と言っていいのではないか。(ちょっと強引で苦しいが、すこしでもうなずいていただければありがたい)

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【2006/03/29 04:40】 | 伝統・文化
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 を象徴するには、古くから日本人にとって特別の思いがある。
 散り際のいい桜と武士の関係が美化されたり、桜の咲き方によってその年の豊作を占ったり、桜の咲きはじめで稲の籾をまく時期を知ったりと生活との関わりも大きい。
 東山自然緑地のヤマザクラ(京都市山科区)
そして、この時期には、入学式や就職など新たな出発の時に桜の花が祝福するように咲く。巡りくる四季を自覚させてくれる。また、冬が終わり大地が生き返るような時に萌え生ずるので、古くから歌に詠まれ、“花といえばサクラ”という文化が日本に定着している。
 しかし、調べてみると『万葉集』に詠まれた花の中で、最も回数の多いのが、次が。桜はずっと少なく10番目。しかしそれ以後の『古今和歌集』になると桜が中心になってくる。この頃から日本独自の文化が根をおろしたことがうかがえる。

原文=>「多都多夜麻 見都々古要許之 佐久良波奈 知利加須疑奈牟 和我可敝流刀尓」
作者=>大伴家持(おおとものやかもち)が、天平年間に大伴家持(おおとものやかもち)が平城京から難波(なにわ)に行った時に詠んだ歌
よみ=>「龍田山(たつたやま)、見つつ越(こ)え来(こ)し、桜花(さくらばな)、散(ち)りか過(す)ぎなむ、我(わ)が帰(かへ)るとに」
意味=> 「龍田山(たつたやま)を越えながら見てきた桜花(さくらばな)は、私が帰るまでには散っていってしまうのでしょうか。」


 このように、花と言えば、桜であり、古来、都のあった奈良や京都で歌にも詠まれてきたサクラはヤマザクラであり、古くから日本人に親しまれてきた野生種である。

 さて、「サクラ」という名前の由来はいろいろあるようだが、「古事記」に出てくる「木花之佐久夜毘売」「木花開耶姫」(=コノハナサクヤヒメ)に起因しているとか、サクラの木の皮は裂けやすいので、サク(裂)からきているとか、集まって咲くのを「さきむら」といい、これが縮まってサクラになったなどなどと言われている。

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【2006/03/25 16:26】 | 伝統・文化
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「多摩川の清き流れ、桜並木に枯葉の風音 四季に咲き乱れる草花、立川は武蔵野の中心として栄え、今もビルの林立する繁栄を見せています。静かな小道にのれんのあがった茶店で渋いお茶に甘いもので散策の疲れをいやす。そんな時代への郷愁、落ち着いた時間が欲しいものです。
 紀の国屋ではこんな古きのどかな時代をしのんで立川にふさわしい名菓をと考えておりました。この相国最中は自信を持ってお創りしたものです。良質の最中の皮、精選した大納言小豆、やわらかい求肥を合わせきっと皆様にお喜び頂けるものと存じます。相国(しょうこく)は中国では宰相の事でお菓子の中の最高の位を目指して相国最中と名付けました。お茶受けにご進物にご利用下されば幸いです。」(紀の国屋店主敬白)


 この「紀の国屋」さんの本店は武蔵村山市にある。他にもJR中央線立川駅南口前、国立駅北口前、南武線谷保駅前など14店舗を構える多摩の隠れた老舗である。箱からして気品と重厚さを感じる

 和菓子の種類も沢山あるが、その中でも私のおすすめは、「相国最中」だ。
 大きさは5㌢×5㌢×3㌢
小豆」…大納言つぶあんに柔らかい求肥(ぎゅうひ)入り
」…さらりとした白あんにきざんだ栗入り の2種類。どうだこの大きさはー
 この菓子は、三浦友和・百恵夫妻もお気に入りとテレビで言っていた。とにかく、見目姿が立派である。中のあんもどっさり、手に持ったたけでずしりとする。あえて「相国最中」と名付けた店主の心意気が気に入った。

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【2006/03/22 19:00】 | 伝統・文化
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 北野にある「桜の名所」と言われる平野神社(ひらのじんじゃ)に行ってきた。かれんな「桃桜」が今咲き誇る
ここは、50種400本もの桜が咲き誇るといい、3月中旬から4月下旬まで代わる代わる咲いていく。
 一昨日の京都は、時折、小雪も舞うほどの寒さになった。花見にはまだ早いかなと思っていたが、これから一ヶ月以上もの間桜を楽しむことができる平野神社はちがっていた。可愛く一輪咲く「河津さくら
 今、その中の「桃桜」な白い花弁が寒さに花をふるわせていた。清楚で早咲きの桜だが、やっぱり暖かい季節はそこまでやって来ているんだと実感できる。
 よく見ると「河津桜」も一輪だけ咲いていた。注意して歩かないと判らないが、ツボミもかなり赤くなってきているので今週末には満開になるだろう。



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【2006/03/21 15:40】 | わたしの京都
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 紫野にある今宮神社に行ってきた。ここは、わたしが京都での長逗留先からのウオーキングコースの途中にある。大徳寺の境内をゆっくりと歩き、そこから今宮神社まで歩く。ここは、平安時代より疫病除けのご利益がある神社として知られている。
 神社の東の参道には古くから「あぶり餅」を食べさせてくれる2件の店がある。中央の石畳では客引きはしないという申し合わせがあるとか
 参道の左に「一和」さん、右に「かざりや」さん。この2軒の店の客引きをくぐり抜けなけなれば通ることができないところである。この客引きをきらう人がいるが、上品で強引なものではないのでわたしはそう気にはならない。「寄っといてやす、あぶり餅どっせ
 両店とも一品を売るために互いにしのぎをけずりあってきた。「一和」は「元祖・正本家」を名乗り、「かざりや」は「本家・根元」を名乗り千年の歴史があるとか。日本で一番古い和菓子と言える。
 あぶり餅はどちらの店も15本500円で、もちにきなこをつけて炙って白みそタレ
メニューは他には一切無く営業時間も定休日も同じとか。お持ち帰りもできるということだが、あたたかいうちに食べるのが一番おいしい食べ方のようだ。
さて、どちらのお店が美味しいのか・・・。それは、皆様の判断にお任せしたい。


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【2006/03/19 19:16】 | わたしの京都
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 井筒八ッ橋本舗は、祇園南座前が発祥の地であり創業当時のたたずまいを残し、今も祇園らしさを伝えている。
 京の代表銘菓、八ッ橋は「六段の調べ」などの作曲者の八橋検校(やつはしけんぎょう)に由来している。米を大切にする検校の願いから米粉を使って琴の形をした堅焼き煎餅「八ッ橋」が完成した。
 そして、一番人気のつばあん入り生八ッ橋には、「夕霧」と「夕子」がある。歌舞伎銘菓「夕霧」
 これは、昭和22年に草案された「夕霧」が草分けで、その後もっと手軽に京土産をと昭和45年製造発売されたのが「夕子」である。
 編み笠文様が美しい菓子の「夕霧」は、近松門左衛門が書き下ろした歌舞伎の「廓文章」に因んで誕生した。当時、名声を博していた名妓「夕霧太夫」をモデルにし、生八ッ橋生地を舞台で持つ網笠の文様に仕立て、その中に京都小倉あんを包み込んでいる。京銘菓「夕子」は3色ある
 一方、「夕子」と言う名前は、水上勉作「五番街夕霧楼」主人公、片桐夕子に由来している。この小説は、金閣寺の火災をモチーフにし、主人公夕子と僧侶正順との純愛を美しく描いた叙情小説ということである。(小説も読んだこと無い。二度映画化され、佐久間良子、松坂慶子がヒロイン「夕子」を演じているというがこちらも…)香ばしいニッキの香りが広がる 
 また、祇園本店の2階では茶菓がいただける。中でも生八ッ橋を炭火焼きでいただく「やきやき」は格別である。炭火でこんがりと焼いた生八ッ橋に特製の小倉あんを添える。その香ばしい風味を美味しい緑茶と一緒に楽しめる。(750円税込)
 そして、当店5階は博物館になっていた。夕霧愛用の品々は、華やかさともの悲しさが伝わってくる。窓をのぞくと、今なお賑わう南座が展望できる。
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【2006/03/18 05:06】 | わたしの京都
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 ここは、八坂神社の境内の中にあるお社のひとつ。
その名も「美御前社(うつくしごぜんしゃ)」。美御前社を門前より
三人の女神様が祀られていて、古くから祇園の芸妓さんや舞妓さんをはじめ、美容関係の人たちから信仰されてきている。
 先日も通りかかると、足を止めてお参りしている姿に遭遇。それに習うように、私もしっかり手を合わせて、…。美容水を肌につけると…

また、社殿前には、神水が湧き出ており、肌の健康に御利益があるという「美容水」は参拝者に人気がある。一滴つけるだけで効果抜群。しかし、飲んで体の中からというのはいけないそうで、飲料はならないという説明がしてあった。



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【2006/03/16 19:48】 | わたしの京都
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 牛若丸の伝説が残る五条大橋の欄干の擬宝珠(=ぎぼし)をかたどった最中。香ばしい手焼きの皮に大納言あずきの粒あんがこんなに詰まっている。もちろん丹波産大納言粒あんである。ぎぼしも菓子になるとかわいい

 包み紙を取ると、擬宝珠を飾った円柱を模った最中が現れる。あんがあふれてくるほど
 五条大橋の欄干の擬宝珠もこうなると何ともかわいらしい。 
1個100㌘とずしりと重くお得感がある。甘さ控えめで食べ応えがある。
 たっぷりのあんがのぞく、義経伝説にちなむ「「ごじょう ぎぼし最中」」は、創業明治元年の幸福堂老舗(京都下京区河原町通)で販売。(1個210円)




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義経伝説の五条大橋


【2006/03/14 19:40】 | 義経伝説
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 昨日から東山花灯路(はなとうろ)が始まった。
北は青蓮院から南は清水寺まで、ほのかなあんどんの光で照らされていた。日中とはまたひと味違う東山散策が楽しめて趣がある。石塀小路もこの通り
 寺院、神社をはじめとする歴史的な文化遺産やまち並みが、日本情緒たっぷりに闇に浮かび上がる幻想の和の世界。通りは「灯り」と「花」で演出され、「安らぎ」と「華やぎ」が京の早春の彩りを感じる。情緒あるあんどんがつづく
 和小物のお店をのぞいたり、甘味でほっとひと息ついたりしながら、ゆっくりそぞろ歩きが似合う。高台寺公園では芸妓さん舞妓さんの踊りやミニライブなどの催しも行われていた。
 青蓮院~清水寺まで、東山山麓に連なる約4.6㌔の散策路に、2,400基ものあんどんが並ぶ。
 風情あふれる東山で、ロマンチックな春の宵を味わうのは贅沢の極みである。東山花灯路は3月21日(春分の日)まで行われている。

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おこしやす京都花灯路


【2006/03/12 13:24】 | わたしの京都
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 京都を散策していていて、地図片手に目的地さがしで右往左往。その挙げ句の果てには、方角までわからなくなってしまうことがわたしには度々ある。青空にはえる京都タワー
 しかし、のっぽなタワーが私を見つめてくれている。そんな安心感から、暗くなるまで、それも時間いっぱいまでに古都京都を楽しませてもらっている。心強い味方である。
ビルにうつるタワー
 古都の表玄関に立つ京都のシンボル京都タワー
京都のどこにいてもよく見える京都タワー
夜間にはライトアップされ、京の夜景に幻想的な景観を醸し出している。タワーの下のタワーホテルにはデパートや食堂などがある。
昭和40年に、京都初の高層建築として完成し、京都らしくロウソクをイメージしたそのデザインは当時市民の反発を受けた。夜になると、ライトアップされて午後11時には紫色に映え、怪しいまでの美しさを漂わせている。
 そして何と言ってもビックリなのは、地下に大浴場まであること。タオルも入浴料に含まれていて、何も持たずに立ち寄れるのが便利である。
お湯は少々熱めであり、サウナまで付いているので気持ちよく小休憩ができる。



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【2006/03/11 09:21】 | わたしの京都
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金沢の兼六園にある日本武尊(やまとたけるのみこと)の銅像は、ハトもカラスも寄り付かないということで有名で、つまりは、糞害がない銅像である。
 金沢大学大学院の廣瀬幸雄先生の研究では、この銅像はヒ素の含有量が約10%と非常に多いことが調べで分かっている。なんとも不思議な日本武尊の銅像(O_O)
ちなみに、東京の上野公園の西郷隆盛の銅像に含まれているヒ素は2%くらいだとか。
 なぜ、ここの日本武尊像にはなぜヒ素が多く含まれているのかというと、銅が溶ける融点と関連があり、ヒ素の含有量が2%くらいだと1100度以上だが、10%なら900度以下でもいいとか。
 銅像の製法は、はじめに鋳型を作る。続いて、そこに溶けた銅を流し込んで作っていくが、日本武尊像のような高さが5.5メートルもある大きな銅像では、温度が1200度でもこの銅合金は湯流れが悪く途中で固まってしまう。そこで、ヒ素を10%程入れ、融点を下げて作業をしたということである。
 兼六園の日本武尊像にハトやカラスが寄り付かないのは、ヒ素の毒を生き物が敏感に感じるからだとか…。
 これが本当なら、動物の繊細さには驚きを感じる。


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【2006/03/08 23:09】 | 諸々雑感
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 天竜寺を見学し庭園を抜けると、左右は快哉な気分にさせる竹林が続き、結構体にこたえる登り坂が北嵯峨へと導いてくれた。この美しい小道はテレビや映画のワンシーンでもよく見られるところである。
 その竹林の出口に「大河内山荘」という"柴門"が見えた。目立たない入り口だが引き込まれたいった
ここはどこだろう?」なにも予備知識もないまま入場することにした。拝観料は丁度1000円で高いかなと思ったが抹茶付き。少々疲れていたので入って休憩でもと…。しかし、ここからも歩かなければならないのか。寄らないで通りすぎればよかったと多少後悔。
 ここは「大河内傳次郎の生命を凝縮した創作であり、命を掛けた創造の場」と説明されている。いくら銀幕のスターの別荘とはいっても、スケールがちと凄すぎる。
 傳次郎が34歳(昭和6年)から、64歳で世を去るまで30年間にわたり、生涯をかけてこつこつと造園していったという。主屋の大乗閣がmietekita丹下左膳の大河内








風光明媚な山林に手を加えながら完成させていった。伝次郎の美意識、彼の努力やその妙技にはただ驚嘆する。
 庭園内は眺望がいいので心を和ませてくれる。嵐山を背景に、その奥に比叡山を、そして手前に向かって大文字、双ケ丘(ならびがおか)と東山36峰が横たわり、古都京都すべてを借景としている。
 大河内傳次郎を知らなくても一度は訪れたい名園である。

大河内傳次郎の写真はこちらより借用しました(http://www.ntv.co.jp/kyoto/oa/20041211/naiyou.html)




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【2006/03/06 05:36】 | わたしの京都
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ひなまつりの日の京都も特別であった。いくつかの場所で、それにちなんだイベントが行われている。
 下鴨神社では、編んだわらに乗せたひな人形を御手洗川に流し、子供たちの無病息災を祈る「流し雛」が行われた。清流に揺られて流れていく

 人形の寺の宝鏡寺では毎年「春の人形展」が開かれ、皇室ゆかりの人形などが展示されているという。
 ほかにも、上賀茂神社の桃花神事、市比賣神社のひいな祭などと…。
 ここ下鴨神社では、 ひな人形を川に流して厄払いと無病息災を祈願していた。
無病息災の願いをこめて祭事の後、束帯、十二単姿の男女によって、わらで編んだ「桟俵(さんだわら)」に和紙作りの一対のひな人形を載せた「流し雛」が流されていく。祭事が終わると、一般参加者の流しびなが始まり多数流されていった。編まれたわの上に乗せられた色紙で作られたひな人形が清流に揺られ、のどかさと風流を乗せて流れていった。京都ならでは行事と言える。
 しかし、「流し雛」の行事は全国各地で行われているようですね…。


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【2006/03/04 14:21】 | わたしの京都
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建仁寺から高台寺の方への道すがら、石塀小路(いしべこうじ)を通ってみると京都らしい風情が伝わってくる。大正ロマン漂う街灯が目印
風情ある石畳と石塀が続く300M程の小路。
 ここは古都京都の情緒がいっぱい漂う。京都らしい風情を満喫しながらそぞろ歩きを楽しむのには最適である。すてきな石畳がつづく
お茶屋や料亭が並び、要人や大物俳優がお忍びで訪れる場所でもある。
大正時代に作られたというからまだ新しい。ゆるりと歩いても、およそ3分ほどだが、敷き詰められた石畳、石の塀、建ち並ぶ木造家屋が何かと懐かしく、安らぎを感じる空間である。

今が正念場。がんばります。









【2006/03/02 06:05】 | わたしの京都
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