こちら庄内平野ど真ん中の人間。庄内の自然豊かで芳醇な文化、人々の暮らしを気ままにつづっています。
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 芭蕉は、「奥の細道」の中で松島の句を残していない。

 それは、『絶景にむかふ時は、うばはれて不叶』であり、松島では、「扶桑(=日本)第一の好風」をまのあたりにし、感動の余りに句が作れなかった。また、芭蕉らしく、絶景の前では黙して語らずと句を示さなかったとする見方もできる。日本三景
 しかし、「奥の細道」には収められてはいないが、芭蕉の句に「島々や千々に砕きて夏の海」という松島を詠んだものがある。
 「蕉翁全伝附録」には「松島は好風扶桑第一の景とかや。古今の人の風情、この島にのみおもひよせて、心を尽くし、たくみをめぐらす。をよそ海のよも三里計にて、さまざまの島々、奇曲天工の妙を刻なせるがごとく、おのおの松生茂りて、うるはしさ花やかさ、いはむかたなし。」と前書付きに残している。千々の島々が目の前に

 やはり、松島のすばらしい自然を前にした、あまりの大きな感動に自分の筆が及ばなかったとのことで、推敲の段階でこの句を意図をもって外したのでしょうか。

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【2006/05/29 06:39】 | 奥の細道
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ベータ対VHSというように、ソニー・松下戦争というように、同業者が競い合うのは明治時代にまでさかのぼることができる。
 
 この時代、東西に二人のタバコ王がいた。京都の村井吉兵衛と東京・銀座の岩谷松平だ。天狗煙草
 岩谷は日本ではじめて本格的な紙巻タバコの製造をはじめ、タバコにブランドを取り入れた。赤天狗の異名まで持つ国粋主義者で、タバコの銘柄は「愛国天狗」「国益天狗」「日の出」「富士」といった古風で日本的な名前をつけた。
 かたや、吉兵衛は日本初の両切りたばこを発売。ブランド名「サンライス」「ヒーロー」「バアジン」とすべてカタカナで新しもの好きの京都風モダニスト。サンライス
 二人の宣伝合戦は熾烈を極め、岩谷はパッケージに「赤」のシンボルカラーを採用。これには自ら広告塔となり着るものも上から下まで赤ずくめ。馬車も赤、売り場も赤。これに対して吉兵衛は白ずくめで攻めるといった具合。バアジン
また、岩谷が自転車宣伝部隊を出せば、吉兵衛は馬車を仕立てパレードさせCMソングを導入と彼らの東西のタバコ商戦はエスカレートぶりは小説に書かれるほどだった。
 広告で吉兵衛を有名にしたのに大文字山の「大」の字の下にサンライスとヒーローの看板。一文字ずつをでっかい立て看板にして山腹に並べ人々をあっと言わせた。これこそが、野外看板の走りである。 
 タバコ王として君臨した吉兵衛は、専売化の補償金を充てて、数々の事業を起業した。印刷屋、銀行、製糸会社、石炭石油開発、村井汽船、村井貿易と多岐にわたり、中でも熾烈な広告合戦のおかげで日本の印刷技術は格段の進歩をした。
 このように振り返ると、吉兵衛こそがのちの京都ベンチャーと言われる経営者の先駆であると言える。

【2006/05/25 22:01】 | わたしの京都
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 実業家村井吉兵衛は、1864年、京都の煙草商の次男として誕生。家は貧しく、9歳で叔父の養子となり、タバコの行商を始めた。当時としてはモダンなデザイン

 時は明治の初め、まさに日本が近代の夜明けを迎えた頃のことである。行商で得た資金をもとでにタバコの研究製造に一冊の洋書を手がかりに踏み出した。
 当時タバコと言えばキセルで吸うもので、時代のニーズをいち早くつかんだ吉兵衛は、日本初の両切りタバコを製造し1891年(明治24年)「サンライス」と名付けて発売。 続いて発売された「ヒーロー」は、年間生産量日本一を達成する大ヒット商品となった。煙草界のヒーローとなった吉兵衛は、キセルの吸い口付きタバコ「天狗」を販売していた強敵・岩谷松平氏と激しい競争を繰り広げた、早くから米国での見聞を広めた吉兵衛は、ハイカラで、モダンなデザインを世に送り出し圧倒した。

 タバコが専売になる前のことであり、彼があまりにも見事に世界市場に乗り出し、巨万の富を築いたことが、タバコの専売化の道を急がせた。その後勃発する日清・日露戦争の戦費調達のため、それまで民間が担っていたたばこ産業がすべて国家による専売制度に切りかえらることによって転機を迎えた。しかし、彼はは事業を国に売却する代わりに莫大な補償金を手にすることになる。村井兄弟商会


 ちなみに彼のたばこ工場だったレンガ造りの建物が、今も東山の馬町に残っている。
当時としては最新鋭の工場で、2000人以上の労働者が働いていたというから驚きである。

【2006/05/23 03:04】 | わたしの京都
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 東山八坂神社の裏手、多くの観光客で賑わう円山公園で、ひときわ目を引く洋館がある。現在はホテル、喫茶、レストランとして使用されている「長楽館」。
 「長楽館」は、明治時代の実業家で「タバコ王」と称された村井吉兵衛の京都別邸として建設された。
 外観はルネッサンス様式を基調にしていて、1階部分が石張り、2階及び3階部分がタイル貼りになっている。
 室内の家具は、輸入されたもので当時のものがそのまま残されているという。豪華な調度品
 1909年に、京都円山公園に、吉兵衛私財を投じて完成させた「長楽館」は、国内外の来客をもてなすための京都迎賓館であった。
 京都の迎賓館として華やかな集いの場となっていた「長楽館」の名前の由来は、伊藤博文が完成したときに滞在し、窓からの眺望に感銘し、遍額に「長楽館」と記したことに由来する。村井吉兵衛
 当時、実業家として村井吉兵衛がどれほど名を馳せた人物だったのかというのは「長楽館」への著名な訪問客の名前を見ると容易に想像できる。
 英皇太子ウェールズ殿下米副大統領フェアーバンクス米財閥のロックフェラーも滞在し京都を満喫し、さらには、山県有明大隈重信等が挙げられる。セレブな気分を味わえる
 1986年には、京都市指定有形文化財に指定されている。
 喫茶ルームでは、コーヒー、紅茶は600円からで、ケーキは400円でセレブな気分が味わえる。評判のアフタヌーンティーは要予約。

【2006/05/20 22:01】 | わたしの京都
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 衣川では義経は死なず、すなわち、衣川の戦いは、偽戦なのである・・・。義経の足跡は、蝦夷地ロシアモンゴルへとつづく・・・・。
 
 旭川の隣町の東神楽町(ひがしかぐらちょう)には「義経台」と呼ばれる小高い丘陵がある。東神楽神社を祭るこの丘陵は古くから桜の名所として知られ、隣接する「義経公園」は、町民の憩いの場として親しまれている。笹竜胆をつけている義経の凧絵

 北海道、寿都町の弁慶岬には海原を眺める弁慶の銅像が立っている。弁慶は、毎日毎日、この岬の先端に立って舎弟海尊の到着を待っていたが、海尊軍団の船影を見ることはできなかった。そんな弁慶の姿を見ていたアイヌたちは、この岬を弁慶が同志を待ちわびていた岬ということから、いつしか弁慶岬と呼ぶようになった。

 現在、頼朝ゆかりの地ということもあり、鎌倉市ではこの「ささりんどう」をデザインして市章に制定している。笹竜胆は大陸でも発見されているという
 そして、
それは、源氏の家紋の笹竜胆(ささりんどう)が、数々の史跡が義経の北行へのを裏付けているという。

 なぜロシアのナホトカにこの源氏の家紋である笹竜胆が伝わっているのか。
 なぜ蒙古軍の帽子につけられていた印がこの笹竜胆だったのか、知れば知るほど謎は深まるばかりである。



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【2006/05/16 20:30】 | 義経伝説
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 今や大人気の抹茶スイーツは、日本全国どこでも味わえる。有名スイーツはコンビニと提携して販売しているものまであるという。
 でも、ここのスイーツは他とは違うと、地元京都人からも評判の声が聞こえてくる。老舗の看板

 今から150年前に創業というの老舗の御茶屋産祇園辻利(ぎおんつじり)。
 「若い人のお茶離れを何とかしたい」と、「茶寮都路里(さりょうつじり)」を、今から24年前に開店させた。

 何もわからずGW中に八坂神社に向かいながら四条通りを歩いていると、長蛇の列。長女はすぐにあそこは、「有名なつじり・・・」と言う。祇園に店を構えるこちらは、名物の「抹茶パフェ」などのスイーツを求める人たちの行列が絶えない。
 「抹茶」にこだわったスイーツがここまで多くの人々に愛されるようになったのは、やはり“本当に良いものだけしかお出ししない!”というこだわりがあるからでしょう。根気よく並ぶ人達・・・

ようし、せっかくだから並ぼうと長女と一瞬並んたけど、隣のお店まの前である。で、列の先端はと言うと、2階の階段へ続き、その先はきっと入り口からでしょうか・・・。話によると2時間待ちというので、「都路里」の味は次回までの楽しみにとっておいて次へ向かった。



【2006/05/13 11:22】 | 諸々雑感
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 岩手県の港町の大船渡、釜石と進み、さらに北へ向かうと、海水浴場にもなっている浪板海岸がある。陸中海岸の浜辺は美しい
 その名の通り、まっすぐ一直線の白波が寄せる眺めは壮観そのものである。
 しかも、寄せる波、寄せる波、寄せる波、・・・とつづく。だから、返す波のない片寄せ波と言われている。じっと目を凝らしていると、やはりその通りである。返す波がないから美しい白波が一枚板のように見える。

 寄せる波がわずかに、弱く戻って消えていく片寄せ波。なんとも不思議なこの現象は、砂の粗さが影響しているという。粗い砂に波が吸い込まれるのがその理由であるといわれている。

【2006/05/11 21:13】 | 東北
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 大阪城を心底愛する「大阪城甲冑隊」は、自作の鎧兜を制作された人達が集まって活動している団体の皆さんである。赤でそろえた甲冑に六文銭が目立つ
 大坂の陣から約400年を経た現在、戦いではなく、「大阪城が好き」「歴史が好き」「鎧が好き」というその気持ちを合言葉に、大阪城で奉仕活動等に取り組む団体である。
 真田幸村にちなんで、「真田の赤備え」と呼ばれた赤い鎧を中心に自作してこのように着用して行動する現代の甲冑隊である。鞘から抜くとゴミはさみが・・・
 大坂の冬の陣、夏の陣をはじめ、大坂城を守ろうと散っていった「彼らのことは忘れない、語り継いで行く・身をもって表現していく」為に、大阪城でのイベントを中心に、様々な行事を企画しているとのことである。
 腰の刀を抜くと、なんとこんな仕組みになっているのだ・・・。
 真田幸村が討ち死にして眠っている大阪城を決して汚してはならない、彼らの活動に大きく共感を覚えた日になった。

【2006/05/10 06:05】 | 諸々雑感
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 みなさん、励ましのコメントありがとうございます。
 コメントの多さにびっくり、元気付けられています。
 もうすぐ自宅に戻る予定ですが、久しぶりに長期休暇をとり、親元を離れた子供たちと過ごしています。コンサートもあり地上は人だらけ、空はこのとおり

 出かける前は、詳細に計画を立てていたのですが、渋滞で身動きできません。どこに行っても人、人、人、・・・。予定は大幅に変更です。目的は何一つ果たせませんでした。しかし、家族で久しぶりの時間を過ごすことができたのが何よりの収穫となりました。

 尚、月曜日に戻りますが、そのあとすぐの仕事上の予定入っていて、時間が不規則になるので、更新もすぐにはできないでしょう。

 こんなところへ出かけてきました。詳細はのちほどです。

【2006/05/06 06:39】 | 諸々雑感
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