こちら庄内平野ど真ん中の人間。庄内の自然豊かで芳醇な文化、人々の暮らしを気ままにつづっています。
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 京都知恩院の御影堂正面では、軒裏を見上げる人がいる。

 わたしも早速駆けつけて、仲間に入れてもらい同じようにしてみたが何も確認できない。しかし、「あれね」などというしたり顔の人たち。その後もがんばってみたが、わたしには「あれがそうなのかな」くらいんものしか確認できずくやしい・・・。
たくさんの人が見上げている

 ここ知恩院には「七不思議」が伝わっているという。その中の一つが 、「わすれ傘」である。
 骨ばかりとなった傘がみえるという・・。
 左甚五郎が魔除けのために置いていったという説と、知恩院第32代の雄誉霊巌上人(おうよれいがんしょうにん)が御影堂を建立しているときに、白狐がすみかがなくなるので新しいすみかをつくってほしいと依頼しにきたと言う。それをかなえてくれたお礼にこの傘を置いて知恩院を火災から守ることを約束したという言い伝えがある。
 その後、傘は雨が降るときにさすことで、火災からのお守りとして今日も信じられているという。
おもしろいと思う人、そうでない人も一日一押し!!

 


「わすれ傘」の説明
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【2006/06/30 05:44】 | わたしの京都
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 成吉思汗が皇帝となるときにはじめて「」という称号が使われた。このことは、成吉思汗自らが、即位に当たり、王位の名前を考えたことになる。
 それまでの名前「鉄木真」(テムジン)から「成吉思汗」(ジンギスカン)として即位するときに、日本にいるへなんらかのメッセージを込めたと考えられる。(そのときは、静は亡くなっていたと言われるが義経は知る由もない)
 王位の称号の「」は分解すると「サンズイ」でスイカンと読める。平家物語によると、「スイカン」とは白拍子が着る衣装のことで、のことである。菊人形展の静の舞
 こうして、「成吉思汗」を漢文読みをすると、
 吉成りて水干を思う(きちなりてすいかんをおもう)
 吉」=「吉野山」であり、「水干」=静であるから、『吉野山の誓い成りて、静(しずか)を思う』になる。万葉仮名読みでも、成吉思汗=なすよしもがな、となり、両者合わせて考えても、実に興味深いこととなる。

 義経は、京都では公家とのつきあいもあり、言葉遊びを楽しんでいたと言われているから、「成吉思汗」には、「静の舞」への義経からの心込めた「返し」になっているというが・・・。
 加えて言うならば、ジンギスカンの生い立ちは非常に不詳な点が多いことは、みなさん承知のことだが、鉄木真(テムジン)と言われていたころの肖像は大男に描かれていて、弁慶だったのではないのかという説もあり、その辺は、現在考察中につき、いづれ紹介できることと思う。
(参考文献  高木彬光 「成吉思汗の秘密」)
ちょっと無理な推理だなあと思う方も応援を!

 





【2006/06/29 02:00】 | 義経伝説
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 源氏の氏神様の鶴岡八幡宮で、鎌倉殿(頼朝)と妻の政子の御前でが奉納舞をするという事で、鎌倉中の人々が注目していた。  
  
しずやしず、しずのおだまきくりかえし、
  むかしを今に なすよしもがな
吉野山 峰の白雪ふみわけて
 入りにし人の あとぞ恋しき
 自分の名前のと賤しい身分のしずをかけ合わせて、舞にあわせて頼朝が追っている義経を誰はばかることなく恋い謳った。
烏帽子をつけて男装

 は、「白拍子」(しらびょうし)と言われる舞人で一見華やかではあるが、身分的には低く蔑まれていた。
 しかし、この逆境の中でが見せた教養ある機転が、鎌倉の人々に感動をもたらし、義経への恋心を謳いながら舞ったと、この行為に女性として理解を示した政子については、後世へ美談として語り継がれることになった。
 この舞から20年が経った1206年に「成吉思汗」(ジンギスカン)が即位したときに、「むかしを今になすよしもがな」と、おれはここにいて昔のように今も思っている。「成吉思汗」を万葉仮名で読み下すと、『成吉思汗=なすよしもがな』となり、遠いアジア大陸よりにメッセージを送ったと言われているのだ。
    (参考文献  高木彬光 「成吉思汗の秘密」)
多少でも賛同できれば応援を!

 


【2006/06/27 20:18】 | 義経伝説
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茶房華心」は、祇園の南座の東隣という京情緒豊かな場所にある。
 和菓子屋「鼓月」の奥とその2階が茶房になっている。テーブルの上のお花
 京都を歩き、ちょっと休憩するには丁度いいお店で、テーブルのワンポイントのお花が和ませてくれる。

 一押しは、「抹茶善哉」で、これは白玉善哉とお抹茶がミックスされた甘過ぎないさわやかな善哉。さらに、「抹茶と季節の上生菓子」は5種類の生菓子より選べるのでお得。
 ここは、注文が入ってから抹茶を点て、毎朝手作りした素材を使い、箸休めの昆布も当店オリジナルでホント美味しい。
 「茶房華心」は京町家をモノトーンに改装した吹き抜けがモダンさを感じさせるてくれて、現代にあって京の伝統を目で十分に楽しませてくれるお店である。
応援、お願いします

 


一押しの抹茶善哉

上菓子が選べてお特


【2006/06/25 17:13】 | わたしの京都
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SAMURAI BLUE 健闘 ごくろうさーん!
負けて、そりゃあ、くやしいけど、大きな拍手で迎えようよ。
おつかれさーん
楽しませてもらったで!。
それが4年後につながるんだよ。

まずは4年後に期待して!

 


道頓堀では

みなさんからもたくさんのコメントをいただきました。
みんな健闘をたたえてのコメントでした。みんなの寛容さに、心動かされました。我れ、心の狭さを大いに反省です。

あさひさんより
楽しみは4年後に。
きっと起こりますよ。
ミラクルが♪

kazuさんより
サムライ日本!残念でした。

奇跡は起こらなかったけれど・・・
胸を張って帰ってきて欲しいですね。
今回の悔しさを今後のサッカーに活かして欲しいです。。

フランクさんより
こんばんは!
ホント、残念!無念!
次回に期待しましょう。
では、pochi!pochi!

ウナムさんより
そんな奇跡があったのですね。
知りませんでした。
日本のサッカーが成長してきたからこそ
素人におこる奇跡がへり
本当のサッカーの難しさが現れてきたのかもしれませんね。

kunikuniさんより
こんばんは。
野球も奇跡的な優勝を勝ち取ったので、もしかしたら・・・と期待したんですが、残念でした。
選手の皆さんお疲れ様でした。

健康マニア 健さんより
こんばんわ。
日本が勝つ可能性は0じゃなかったと思っています。
先制点は日本でしたからね。
精神的な部分や経験的な部分もあったかもしれません。
うぅ~ん・・・残念。

応援!

ayanoさんより
残念です
今回は奇跡は起きませんでしたが、
また4年後パワーアップして、
ぜひぜひ奇跡を起こしてほしいものです。
応援ポチッ!

応援まだでしたら!

 




【2006/06/24 08:18】 | 諸々雑感
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 1936年(昭和11年)開催のベルリンオリンピックサッカーで、ニッポン初勝利
対戦相手はスウェーデン。スウェーデンはドイツ・イタリアと並ぶ優勝候補であった。 これに対して、日本はオリンピックのサッカー競技には初参加であり、体格の面でも明らかに劣っていた。
 次回の東京でのオリンピックを開催めざして国の威信をかけての出場であったという。現地に入ってからの三流チームにも大量失点でかなわず、素人集団と下馬評された日本サッカーチーム。
 試合開始。誰もの予想通りスウェーデンが2点を挙げ、優勢に試合を進めた。
 しかし、・・・。
 ハーフタイムでの鈴木重義監督の「君たちはうまくなった。いける。いけるぞ。」という激励を受けてのぞんだ後半戦。ショートパスを中心とする日本の戦術が機能し始めた。間もなく日本初得点(川本選手)、さらに2点目(右近選手)のゴールをきめて同点に追いついた。
 実況アナウンサーも「日本人、日本人、また日本人」と驚きのあまりに連呼するほどだったという。日本の勢いは止まらず、ついに松永選手のゴールによって、ついに逆転した。
 後半、立て続けに3点をあげて、スウェーデンの猛攻をしのぎ、3対2のスコアで日本国際試合で初勝利を挙げた。

 今回、ワールドカップサッカーでは、奇跡は起こらなかった。
よろしかったら一押しを!

 




【2006/06/23 06:41】 | 諸々雑感
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 先日京阪特急に乗った。京都出町柳から大阪淀屋橋までの全長52㌔の鉄道。沿線途中には、枚方市、寝屋川市、守口市などがある。

 この特急車両は豪華。なんと、ダブルデッカー(2階建て)なのだ。最初、特別料金かと思ったところ、普通料金で乗れるのだった。当然、2階へ。中を進むと1両はテレビカーになっていた。特急でのここまでのサービスには驚きだ。
 もうひとつ、電車に「時代祭行列絵図が描かれていて楽しさをアピールしている。時代祭は京都の三大祭りの一つ。葵祭(5月)、祇園祭(7月)と比べると歴史は浅いが平安遷都1100年を記念して10月に催されている。
よろしかったら一押しを!

 



列車に描かれている時代祭絵図

京都三条駅ホームの時代祭絵図


【2006/06/21 22:29】 | わたしの京都
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 風見鶏の館は、トーマス氏の旧邸宅である。この館は明治42年に、ドイツ人貿易商G・トーマス氏の邸宅として建てられ、今や北野町のシンボルである。
 風見鶏はその名の通り風向きを知る役目もあるが、警戒心が強いことから魔よけになり、キリスト教を発展させる効果があるといわれてきたそうである。
  北野に現存する唯一のレンガ造りの建物で、国の重要文化財に指定されている。

  1868年(慶応3年)の神戸開港に伴い、 神戸市役所の西側一帯に外国人のための居留地が設けられ、 外国人の増加などにより、神戸港を一望できる山の手が新たな住宅地にされ、現在の北野町・山本通に残る異人館街のはじまりである。
よろしかったら一押しを!

 



道案内にも異国情緒

風見鶏の館


【2006/06/19 21:15】 | 諸々雑感
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 京都の東福寺はスケールが大きい。
 境内に一歩足を踏み入れると、まず巨大な三門と本堂が目に飛び込んでくる。
 東福寺では見落としたくない建物がいくつかある。それは、三門の西側に建つ東司(とうす)。どっしりとした瓦屋根の重厚な木造の建物。内部に入ることはできなかったが、桟と桟の間から内部が見え、土間に直径数十センチほどのぼこがいっぱい。このトイレという。どんなふうに使用したかはおおかた想像できる。使用方法を知りたい方は訪問して説明図をご覧あれ。
 東司と同じく室町時代の建物で、浴室もある。現在のように湯船があるわけではなくて、釜でお湯をわかして、その蒸気にあたったというからサウナのように使用したのだろうか。
今日も一押しを!

 



京都五山のひとつ

重文のトイレ


【2006/06/17 23:46】 | わたしの京都
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 平泉文化の象徴の金色堂の金はどこから入手したのか?マルコポーロに「黄金の国」と言わしめたにもかかわらず、近くには現在まで大量に産出する金山らしきものは見つかっていない。

探偵神津恭介に次のように語り推理している。
 

それではせっかく奥州を平定した頼朝が、むかし藤原氏の産出していた黄金を手に入れることができなかったというというのは、どこに原因があるのでしょうか」
 「その理由は、僕にいわせれば、一つしかありませんね。鉱脈が枯渇したとも思えない。技術が滅びたとも思えない。原料の供給が絶えたとしか解釈はできないのです。これは、僕の大胆な推理だけれども、藤原三代の富貴栄華の源泉は、その莫大な黄金の原産地は、北海道、樺太――というよりも、大陸のシベリア地方ではなかったかと思うんですよ」。
  高木彬光著、『成吉思汗の秘密』:角川文庫


 この推理が事実だとすると、平泉から大陸への北方ルートがあったことになり、義経一行はそのルートで大陸に渡ったことになる。
 その証拠に「松前福山略記」「新撰陸奥国誌」という複数の文書に、藤原忠衡に案内されて、義経、弁慶等がこのシベリアに渡ったと記されている。頼朝が奥州を制圧したとたんに、この黄金の入手先は封印されてしまったことになる。
 義経が身を寄せた平泉の藤原氏。ここに突如として現れた黄金文化のもとい先が、義経を大陸へ誘ったという。
今日も一押しを!

 



金色堂

義経=ジンギスカンのバイブル


【2006/06/16 05:01】 | 義経伝説
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 叙勲は、国家又は公共のために功労のあった方を対象に発令される。
 我が恩師が、米寿を迎え、永年の学校教育、社会教育での活躍に際して高齢者叙勲=瑞宝双光賞という栄誉を受けた。
 100人ほどの招待者の中に、なんと私の席まで用意いただいた。恩師とは卒業以来の対面だったが老いてなお盛ん、記憶力もわたしよりずっといい。

 日本国天皇は○○○○に瑞寳雙光賞を授与する 皇居において璽を押させる

 菊のご紋章の入った内祝いの品々をいただいてきたところである。
今日も一押しを!

 


大日本国璽の朱印

菊の落雁


【2006/06/13 23:42】 | 伝統・文化
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 京都で有名な寺と言えば、「本能寺」。
 京都で一度は訪ねてみたいと思っていた。今年のGWに寺町通りから探し始め、あちらこちら歩き回り、京都市役所、ホテルオークラ近くのビルの谷間から少し入ったところの静寂な空間に「本能寺」を見つけることが出来た。
 ここで信長が光秀の謀反で自刃したのかと、400年前の信長の無念さを思っていた。しかし、いろいろと見て回っていると、少々事情が違うことに気付いてきた。
 1582年の「本能寺の変」の場所は、その後豊臣秀吉が行った区画整理で現在地に移された。堂宇は度々の兵火などで焼失し、現在のものは昭和3年の再建されたというではないか。
 「本能寺の変」跡地は、現在地(寺町通御池下ル)より南へ2㌔ほどの大宮通六角あたりにあった。しかし、こんなんでいいのだろうか。あの歴史の大舞台が・・・。
 そして、本能寺の「能」の字の「」の部分を「」と書くのは、本能寺が何度も焼失しているため『』という字を忌み嫌ったからということを知った。
今日も一押しを!

 


本能寺総門

本能寺址

「能」の字に注目して欲しい。

【2006/06/11 22:00】 | わたしの京都
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 人が集まる所に芸人や商人が集うのは自然の成り行きである。日本では「辻」で行われることから、「辻芸」と呼ばれていた。既に奈良時代には辻芸で生活をしていた人が存在していたことが資料から確認できるという。
 江戸時代の江戸の下町には多くの「大道芸人」がいた。独楽回し、猿回しや、皿回し、火吹きパントマイム、ジャグリング、ピエロなどなど。ガマの油売りをはじめとする口上売りも盛んに行なわれていた。バナナのたたき売りもそのひとつである。
 行楽で公園に出かけると、たくさんの人垣に囲まれた光景に出会うことがある。この人垣の中で、自分の持ち芸を披露しているのが「大道芸人」。彼らの口上は巧みである。人を引きつけたら最後まで帰さない、離さない。道行く人々を瞬く間にたくさん引き寄せて、最後には、「投げ銭」を呼びかけられ、ついやってしまう。
 歌舞伎もこの辻芸から発展してきたと言われ、日本の生活、文化とは切り離せない。しかし、道路や公園にも多くの規制が入り、日本伝統としての彼らの芸の存亡を危惧する声を聞かれるから寂しい。
一押しご協力を!

 


芸で引きつけていく

子どもはピエロが大好き

ギャラリーができている


【2006/06/10 08:55】 | 伝統・文化
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 先週、山形県の寒河江市(さがえし)を訪問した。
 ここは、くだものの宝庫と聞く。さくらんぼぶどうラフランスと年間を通して果物の生産が行われている。
 丁度この時期、さくらんぼが店頭にわずかであるが並び始めたころであった。しかし、露地物のさくらんぼは、まだこのように黄色であった。
 どこを歩いていても、道路の右も左もであった。黄色いさくらんぼ畑であった。
 来週には、これらが食べ頃のさくらんぼになるということであったから、今は赤くたわわなさくらんぼが風にゆれていることであろう。
一押しご協力を!

 


さくらんぼ まだ黄色

さくらんぼ 少し赤みが

さくらんぼ しだいに赤みがましてくる


【2006/06/08 05:41】 | 諸々雑感
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 寒河江(さがえ)ダムによってせき止められた月山湖(がっさんこ)に、日本一東洋一大噴水が打ち上がる。
 世界では、オーストラリアにあるバーレーグリフィン湖の137mに続いて世界第4位というから、その規模は並ではない。 
 ここは山形県西川町の「月山湖大噴水」。噴水の打ち上げの高さは、112メートル。1日数回しかないという打ち上げ時にたまたま居合わせたわたしは驚きの連続。なぜなら、ここが最高かと思うと、また高くなり、更に高くなり、ここまでかと思うとまたまたずんずんと高くなる。およそ15分の噴水ショーにはいつもたくさんのギャラリーが詰めかけると、案内をお願いしたタクシーの運転手さんから聞いた。
 さらに、ここのダムは「112づくし」だとも教えてもらった。ダムの堤高112メートル、水没移転戸数112戸、すぐそばの国道は112号線、といずれも112という数字が偶然にも重なったとか・・・。



一押しご協力を!

 


水の勢いが増し、どんどん高くなる


絶景無料・・・


【2006/06/06 21:40】 | 東北
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 瑞巌寺は、天長5年(828年)、慈覚大師円仁によって創設された奥州随一の禅寺で、伊達政宗公の菩提寺である。
国宝瑞巌寺の案内

青葉城の政宗公像

 現在の建物は、、 政宗公が5年の歳月をかけて桃山様式の粋を集めて、慶長14年(1609年)に完成させたものである。
 建築にあたっては、 諸国から名工130人を集め、桧、杉、欅の建材を熊野に求め、京都の根来の名工を集め5年がかりで完成させるなど、奥州の覇者としての意気込みが感じられる。  
 日本的な自然をモチーフにした唐戸や欄間、あるいは襖や床の間の豪華な障壁画は、美の極致に達する作品と言え、政宗公が心血を注いだ荘厳な大伽藍と言っていいでしょう。

 十一日、瑞巌寺に詣(もうづ)。
 ……雲居禅師(うんこぜんじ)の徳化に依りて、七堂甍(しちどういらか)改まりて 金壁荘厳(こんぺきしょうごん)光を輝、仏土成就の大伽藍とはなれりける。  (松尾芭蕉 「奥の細道」)


上段の間の「梅竹図」
と、芭蕉によって謳われた障壁画も400年余りの時間の経過とともに、劣化も進み昭和60年より10年の月日をあてて保存修理、複写模写が行われ10年前に完成した。


一押しご協力を!

 


**更に写真があります。
  お時間があればご覧下さい。

瑞巌寺の修行僧の部屋

瑞巌寺参道より松島を望む

国宝庫裡(くり)

文王呂尚図

松に孔雀図

上段の間の紅白椿図、牡丹図

尚、美術品は、撮影できませんのでパンフレットよりの複写になります。




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【2006/06/05 20:38】 | 奥の細道
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絶景ロケーション 松尾芭蕉が訪れた松島の五大堂

 今や松島のシンボル。ここは、大同2年(807年)、坂上田村麻呂が、毘沙門堂を建立したというから由緒は古い。


すかし橋を通って 後に、慈覚大師円仁が円福禅寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、「大聖不動明王」を中央に、「東方降三世」、「西方大威徳」、「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれる。
 五大堂へ渡る朱塗りの橋は床板が交互に抜けており、透かし状になっていることから『すかし橋』と呼ばれている。参詣には身も心も乱れのないよう、気を引き締めさせるための配慮とされる。東北では先駆けの桃山式建築

 現在の建物は、 伊達政宗公が再建したもので、桃山式建築手法の粋をつくして完工したものである。


今年はご開帳の年だ
 33年に1回五大明王像がご開帳され、今年の8月に祭典行事が行われるという。

【2006/06/03 06:49】 | 奥の細道
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 「たけのこ」と言えばは、ほとんどがこの孟宗竹をさす。太くて柔らかく、 香りもいい。お刺身としていただくこともできる
 今や日本の春の食材のひとつになっているが、もともとは日本には無かったそうだ。中国より、18世紀に琉球経由で薩摩に移植され、以降、日本の東北地方まで広がったとのこと。特に、「京たけのこ」が有名で、地表にワラ敷き、土を盛って柔らかい「たけのこ」を作る工夫をしている。 皮が白くアクがなく、柔らかい「たけのこ」ができる。

朝掘りで、時間が経過していないたけのこは、茹でなくてもそのまま食べれる
 先端の柔らかい部分を半月型の3~5mmの薄切りにし、「わさび醤油」でいただいてきた。酒肴に最適であった。

【2006/06/01 05:15】 | 伝統・文化
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