こちら庄内平野ど真ん中の人間。庄内の自然豊かで芳醇な文化、人々の暮らしを気ままにつづっています。
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訪問者の皆様へ

いっぱいのコメントが届けられていてうれしいです。

私の仕事は順調です。今までのフィールドが大きく変わり、最初は手こずりました。しかし、ふる里の友がのおかげで、少しずつごひいきさんも増えてきました。
まだ余裕はないけど、みなさんよりのコメントを読ませていただき、このブログを再開しようかな、いやいや無理だなあ、
などとふる里の東北で心揺れています。

もうしばらく考えてみます。

 心温まるコメントを頂戴していて、本当に恐縮しています。
ありがとうございました。 
   11/17 あすとろ (^○^)((( 



本日、本記事を持って当ブログは終了になりました。
1年間に渡り、たくさんの方々と交流でき、有意義な時間を持つことができました。
ありがとうございました。 あすとろ
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【2006/09/15 22:24】 | 諸々雑感
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 鞍馬の参道は、ゴツゴツしていてとても歩きにくい。 鞍馬寺奥の院参道は、遮那王堂、背比べ石を過ぎたあたりから、更に杉の木が高く茂り昼でも薄暗い道へとなってくる。そして、杉の根が地表に露出し絡み合いこのような景観になった。
 幼少義経はこの足場の悪い参道をも逆に修行の場として利用していた伝わっている。この「木の根道」での修行の効果で、義経は軽快な身のこなしが出来る様になり八艘飛びを生んだ。更に登り進めると「僧正ヶ谷不動堂」。杉の大木が立ち、深山幽谷の気配がし、義経が鞍馬天狗から兵法を伝授された所。

【2006/09/15 03:54】 | 義経伝説
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義経の御魂が宿る

自害されてから・・

しずや、しずや・・

 モンゴルでは、8月15日成吉思汗の命日として、「オボー祭」という祭りを催し、その霊をなぐさめている。
 鞍馬寺でも、8月15日に「義経忌」という法要が行われていたと言う。これは、代々の管長が非公開で行ってきた。期日の一致は偶然なのかそれともなにかの因果なのか、これからも追究していきたい。
 今、鞍馬寺では、毎年9月15日に、「義経祭」として一般公開し、御魂をなぐさめ業績を讃えている。 これは、元々8月15日に行われてたものを、静御前の命日にあたる9月15日にするようになった。行事は、法要に続いて、献笛、鞍馬流居合術や静の舞の奉納と趣向を凝らし行われている。
 参考までに、史実的に義経の命日は、1189(文治5)年4月30日で、今で言う6月13日というのに、鞍馬寺でどうして8月15日に「義経忌」を行うようになったかは、未だ説明できない謎ということである。

【2006/09/08 02:50】 | 義経伝説
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鞍馬寺の本殿

800年も続く湧き水・・

疲れてしまってピントも合わせられないほど・・・

 ここは、義経が毎夜、住まいの東光坊から奥の院へと剣術修行に通う際に、のどの渇きを潤すために飲んだと言われている湧き水「息次ぎの水」である。
 800年も枯れることなく流れているという。わたしもいただいてみた。鞍馬寺の本殿金堂を過ぎた中間点あたりに位置し、疲労と暑さで足下もおぼつかい状態のわたしののどもとを心地よく流れて、再びわたしに元気を授けてくれた。

【2006/09/06 20:57】 | 義経伝説
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義経供養塔

義経が暮らした東光坊跡

さらに神秘の世界へ

 鞍馬の火祭りで有名な由岐神社を過ぎてほどなく、九十九折りの参道に入ると「義経供養塔」が立っていた。800年前に、義経が歩いた小道、眺めたそびえ立つ木々。こんなところで少年牛若は、自分の境遇を嘆くこともなく学問と武芸に励んでいたと思うと感慨無量である。
 さらに、奥へ奥へ、神秘の世界へわたしは招かれていった。

【2006/09/05 05:06】 | 義経伝説
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鞍馬

鞍馬2

鞍馬寺1

鞍馬寺2

鞍馬寺3

鞍馬寺4

鞍馬寺5

 義経伝説をひもときながらのウォーキングでもとお気軽に向かった鞍馬寺。しかし、石段の階段が続くと思えば、くねくねとしたつづらおりの急坂があり、8月の暑い日でもあり、わたしには登山のようにきつかった。かつて義経が歩き、考え、修行に励んだ道をこの夏、汗を流しながら歩いた。 広い境内を修行の場とし、さらに夜ごと天狗に剣術を学んだという
 義経の幼名は牛若。父親は平治の乱(1159年)で敗れた源義朝。母親は敵である平清盛の人質となって、乳飲み子の牛若は助けられ7歳のとき鞍馬寺に預けられ、そこで父と慕った清盛が、実は父の敵だと後に知ることになった。

【2006/09/04 22:18】 | 義経伝説
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黄色い店の中にはたくさんのチョコが

たくさんの人垣ができる

1日何十万人にも通るという

 「飴屋横丁」とか「アメリカ屋横丁」に由来する「アメ横」。ガード下に店を構え独特の雰囲気を醸し出している。
 飴屋さんではないが「チョコレート」屋の志村商店さんにたくさんの人垣ができていた。今やチョコの叩き売りはアメ横の名物になっていて、積み上げられたチョコレートからお兄ちゃんが「これも入れちゃえ、あれも入れちゃえ」とどんどんチョコレートを袋に入れていく。1000円で4~5倍分の国内外のチョコが買えるというから、誰でも納得間違いなし!

【2006/09/01 03:48】 | 諸々雑感
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