こちら庄内平野ど真ん中の人間。庄内の自然豊かで芳醇な文化、人々の暮らしを気ままにつづっています。
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 美濃国の侍,関原与市と従者の一行が、馬で山科に通りかかった時、あやまって義経に水溜まりの泥水を蹴上げてしまった。
「無礼者めが! 名を名乗れ」
「われは平家の侍関原与市重治なる。これしきの水くらい、なんぞ」 と。
わびないだけでなく、馬上から高圧的な態度に怒った義経は、与市とその従者を斬り殺してしまった。瞬く間のことであって、いかに平家打倒の思いの強さを知ることができる。
 怒りがおさまって見れば、九人の平家の武士がふびんに思われてならない。義経は九体の地蔵を街道に安置、菩提をとむらうのだった。
 ここ山科のあたりを九体町言っていたそうだ。九体町は、斬り殺された与市ら九人の菩提を弔うために石仏を九体安置したのが地名の由来とされている。この九体のうち、三体は街道筋に残されていると聞いていたので、早速出かけてみた。

 しかし、地下鉄東西線の蹴上駅の親切な駅員さんにも場所を聞いたがわからないという。この呼び名も義経に泥水を蹴り上げということから、蹴上となったと言う。
 「疎水記念館」や「南禅寺」方面にインクラインに沿うように探し回った。 それでも、見つけられずに今度は、インクラインをまたまた上って蹴上駅も過ぎたところの神社で、ようやく一体とご対面。この神社にお参りにくる途中での事件だったという。
 「義経大日如来石像 」の献花台に、わずかながら「義経」の刻名が読み取ることができた。しかし、今回はこれまで。もっと下調べして来ないとならないと反省。
義経大日如来

日向神社

インクライン

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【2007/06/30 11:30】 | 諸々雑感
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 北区の大徳寺通りの前の小路に進み、二つ目の筋の南築山町には義経の母 常盤御前が使用していたという「常盤井」がある。
 常盤御前が化粧する時に使用していたという。湧き水の出る場所という感じで底が浅く、井戸の石組が現在は残っている。
 石碑には寛文12年に清水宗善が建てたもので、「常盤井」という銘が見える。

 この界隈には、義経関連の史跡がまだまだありそうな感じがする。

大徳寺前

紫野下築山南町

常盤化粧井


【2007/06/08 21:09】 | 諸々雑感
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 京都紫竹牛若には、牛若が生まれたという証がいっぱい残っている。案内標識が立っているわけでもないので、ここで暮らす人々も気づかないように残っていた。

「義経誕生の井」
牛若が生まれたときにこの井戸で産湯を使ったと言われている。
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この日は、先祖代々守っている上野氏が畑仕事をしていて、許可をもらって畑の中に入れていただき、説明までしていただいた。
2

「胞衣塚」(えなづか)
同じ畑の中にある塚。ここには、胎盤とへその緒がうまっていると氏は説明してくれた。
3

4

この記念の石碑はかなりあとに建立されたようだ。
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【2007/06/02 17:18】 | 諸々雑感
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