こちら庄内平野ど真ん中の人間。庄内の自然豊かで芳醇な文化、人々の暮らしを気ままにつづっています。
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 衣川では義経は死なず、すなわち、衣川の戦いは、偽戦なのである・・・。義経の足跡は、蝦夷地ロシアモンゴルへとつづく・・・・。
 
 旭川の隣町の東神楽町(ひがしかぐらちょう)には「義経台」と呼ばれる小高い丘陵がある。東神楽神社を祭るこの丘陵は古くから桜の名所として知られ、隣接する「義経公園」は、町民の憩いの場として親しまれている。笹竜胆をつけている義経の凧絵

 北海道、寿都町の弁慶岬には海原を眺める弁慶の銅像が立っている。弁慶は、毎日毎日、この岬の先端に立って舎弟海尊の到着を待っていたが、海尊軍団の船影を見ることはできなかった。そんな弁慶の姿を見ていたアイヌたちは、この岬を弁慶が同志を待ちわびていた岬ということから、いつしか弁慶岬と呼ぶようになった。

 現在、頼朝ゆかりの地ということもあり、鎌倉市ではこの「ささりんどう」をデザインして市章に制定している。笹竜胆は大陸でも発見されているという
 そして、
それは、源氏の家紋の笹竜胆(ささりんどう)が、数々の史跡が義経の北行へのを裏付けているという。

 なぜロシアのナホトカにこの源氏の家紋である笹竜胆が伝わっているのか。
 なぜ蒙古軍の帽子につけられていた印がこの笹竜胆だったのか、知れば知るほど謎は深まるばかりである。



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【2006/05/16 20:30】 | 義経伝説
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