こちら庄内平野ど真ん中の人間。庄内の自然豊かで芳醇な文化、人々の暮らしを気ままにつづっています。
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 実業家村井吉兵衛は、1864年、京都の煙草商の次男として誕生。家は貧しく、9歳で叔父の養子となり、タバコの行商を始めた。当時としてはモダンなデザイン

 時は明治の初め、まさに日本が近代の夜明けを迎えた頃のことである。行商で得た資金をもとでにタバコの研究製造に一冊の洋書を手がかりに踏み出した。
 当時タバコと言えばキセルで吸うもので、時代のニーズをいち早くつかんだ吉兵衛は、日本初の両切りタバコを製造し1891年(明治24年)「サンライス」と名付けて発売。 続いて発売された「ヒーロー」は、年間生産量日本一を達成する大ヒット商品となった。煙草界のヒーローとなった吉兵衛は、キセルの吸い口付きタバコ「天狗」を販売していた強敵・岩谷松平氏と激しい競争を繰り広げた、早くから米国での見聞を広めた吉兵衛は、ハイカラで、モダンなデザインを世に送り出し圧倒した。

 タバコが専売になる前のことであり、彼があまりにも見事に世界市場に乗り出し、巨万の富を築いたことが、タバコの専売化の道を急がせた。その後勃発する日清・日露戦争の戦費調達のため、それまで民間が担っていたたばこ産業がすべて国家による専売制度に切りかえらることによって転機を迎えた。しかし、彼はは事業を国に売却する代わりに莫大な補償金を手にすることになる。村井兄弟商会


 ちなみに彼のたばこ工場だったレンガ造りの建物が、今も東山の馬町に残っている。
当時としては最新鋭の工場で、2000人以上の労働者が働いていたというから驚きである。

【2006/05/23 03:04】 | わたしの京都
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