こちら庄内平野ど真ん中の人間。庄内の自然豊かで芳醇な文化、人々の暮らしを気ままにつづっています。
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 源氏の氏神様の鶴岡八幡宮で、鎌倉殿(頼朝)と妻の政子の御前でが奉納舞をするという事で、鎌倉中の人々が注目していた。  
  
しずやしず、しずのおだまきくりかえし、
  むかしを今に なすよしもがな
吉野山 峰の白雪ふみわけて
 入りにし人の あとぞ恋しき
 自分の名前のと賤しい身分のしずをかけ合わせて、舞にあわせて頼朝が追っている義経を誰はばかることなく恋い謳った。
烏帽子をつけて男装

 は、「白拍子」(しらびょうし)と言われる舞人で一見華やかではあるが、身分的には低く蔑まれていた。
 しかし、この逆境の中でが見せた教養ある機転が、鎌倉の人々に感動をもたらし、義経への恋心を謳いながら舞ったと、この行為に女性として理解を示した政子については、後世へ美談として語り継がれることになった。
 この舞から20年が経った1206年に「成吉思汗」(ジンギスカン)が即位したときに、「むかしを今になすよしもがな」と、おれはここにいて昔のように今も思っている。「成吉思汗」を万葉仮名で読み下すと、『成吉思汗=なすよしもがな』となり、遠いアジア大陸よりにメッセージを送ったと言われているのだ。
    (参考文献  高木彬光 「成吉思汗の秘密」)
多少でも賛同できれば応援を!

 


【2006/06/27 20:18】 | 義経伝説
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