こちら庄内平野ど真ん中の人間。庄内の自然豊かで芳醇な文化、人々の暮らしを気ままにつづっています。
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赤煉瓦に目をひかれる

広さにおどろき

洋間もある


「実に凡俗の、ただの田舎の大地主というだけのものであった。父は代議士にいちど、それから貴族院にも出たが、べつだん中央の政界に於いて活躍したという話も聞かない。この父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何も無い、ただ大きいのである。間数が三十ちかくもあるであろう。それも十畳二十畳という部屋が多い。おそろしく頑丈なつくりの家ではあるが、しかし、何の趣きも無い。」
<太宰治「苦悩の年鑑」より>」


 青森ヒバを使った入母屋作りのこの建物は、明治40年に太宰の父、津島源右衛門によって建てられ、その2年後に太宰は生まれている。工事費は、当時で約2万円(現在では推定12億円)。
 まず、入って驚くのは、玄関土間の広さで25㍍はあろうと思う。我が家ならこの土間と同じくらいかなと眺めてしまう。この土間には、秋の収穫期には、小作人が持ち込む米俵が山のように積まれたという。さらに見逃がせないのが、館を囲む頑丈なレンガ塀だ。これは、小作争議に備えた父源右衛門の用心深さが伺える。
 その後の太宰の生き方、作風はこの生誕の地で形作られたことがはっきりと感じられる・・・。

【2006/07/22 06:36】 | 東北
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