こちら庄内平野ど真ん中の人間。庄内の自然豊かで芳醇な文化、人々の暮らしを気ままにつづっています。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

 鳴子の位置
  義経が奥州平泉に落ちていく順路の中で、出羽の国と平泉の間が文献から抜けていてよく分からない部分である。
  しかし、それが今でも、伝説として伝えられ、石碑に刻まれ、そして、義経一行が置いていったお礼の品々が家宝として、東北の峠道の近辺にたくさん残っているのである。

  文治2年の冬(1186年)義経一行は、夫人の北の方を同伴して山伏姿で京都から逃れていく。



なきこの碑   一行の中で弁慶だけが羽黒山を参詣し、その後、北の方は途中で亀若丸を出産したが産声をなかなかあげなかったと言う。

 峠を越えたところの温泉で産湯につかって、初めて産声があげた。
 のことでこの土地は「啼子」(なきこ)と呼ばれ、現在の「鳴子」(なるこ)になったと、鳴子温泉には言い伝えが残っている。

【2010/10/01 01:24】 | 義経伝説
トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。