こちら庄内平野ど真ん中の人間。庄内の自然豊かで芳醇な文化、人々の暮らしを気ままにつづっています。
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岩手県平泉は、奥州藤原文化関連で今、世界遺産登録をめざしています。
 を惜しみなく使った「黄金文化」を築いた奥州藤原氏ですが、その勢力がいかに巨大であったのかの話しです。 

 二重堀がよくわかりますね


 
 それは、岩手県から130㌔も離れた福島県国見町一帯。
ここに「阿津賀志山(あつかしやま)防塁」があります。
義経の死後、奥州制圧に向かう頼朝軍を迎え討つために、奥州藤原軍が築いた防御施設です。「平泉政権」の終焉をつげる奥州合戦の戦場となったところです。

これは、奥州藤原氏が、源頼朝との戦いに備えて築いた国内最大級の防塁で、あの鎌倉幕府が造った元寇防塁(福岡市)に次ぐ規模になります。
 800年以上前に造られた全長3キロの防塁は、今もほぼ原形をとどめており、国史跡になっています。
 防塁は阿津賀志山の戦いの直前に完成したとされていて、幅15メートルの間に二重の堀と三重の土塁を張り巡らし、阿武隈川と西側の山間部に挟まれた平野部を遮断するように連なっています。藤原氏が頼朝軍の北進を止め、この地で合戦をするために完成まで延べ25万人を投入して築いたと言われ、奥州藤原氏の支配力の巨大さをうかがうことができます。


 

【2010/09/13 09:39】 | 義経伝説
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