こちら庄内平野ど真ん中の人間。庄内の自然豊かで芳醇な文化、人々の暮らしを気ままにつづっています。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

 阿津賀志山防塁のお話にお付き合いください。

この防塁のことは、教科書に出てこないし、受験にも関係ないところ。まだ、分からないことが多いのです。

 
 3㌔の防塁のうち1.8㌔ほどの区間で堀の埋め土を取り除くなどして復元していきます。
これにより、奥州藤原氏の土木技術が解明されて、さらに、武具や兵士の骨などが発掘されて、両軍の交戦場所や本営と武将の配置など戦いの様子が詳しく分かってきます。
地図Ht_fig001


 10万人以上とされる頼朝軍は、3日間総攻撃を仕掛けても防塁を突破できず、2万人の藤原勢にはじめは苦戦していました。
 そこで、頼朝軍は正面突破を断念して藤原勢の背後からの奇襲作戦に変更して勝利したのです。

この戦いで頼朝は全国統一を決定的にし、鎌倉幕府誕生につながっていきます。

 この合戦は、平安末期の天下分け目の戦いと言える重要な合戦だけに、奥州藤原氏の行政、軍事システムの解明につながれば、距離的には離れているものの、世界遺産登録に力をいれている平泉にも弾みがつくと思っているところです。



【2010/09/09 19:52】 | 義経伝説
トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。