こちら庄内平野ど真ん中の人間。庄内の自然豊かで芳醇な文化、人々の暮らしを気ままにつづっています。
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 幕末の志士、清河八郎誕生の地庄内町(旧立川町、余目町と7月合併)を中心にしたこのあたりに吹く風は清川だしと言われ、広戸風岡山県那岐山麓)やまじ風愛媛県伊予三島)日本三大悪風の1つと言われている。
風車村に風車が回るこのダシ風を生かす試みとして風車村づくりをすすめ、クリーンエネルギーの風力発電開発などに取り組んでいる。

 冬は、地吹雪を伴う北西の季節風が強い。風速10m以上の強風日も年間80日をこえる地帯であるという。この風をただ地域起こしに生かしていくだけでなく、行政と住民が一丸となって環境問題にも取り組んでいるところである。

この山形県の日本海側の庄内地域は、風との戦いの歴史でつづられる
 昭和51年10月29日、酒田市の商店街で発生した火災が、おりからの強風にあおられ、市街地の1800棟を火の海とした。酒田は古くから風により大火被災の歴史が数多くある。
 酒田大火                                             歴史的には18世紀に、季節風で起こる防砂、暴風を防ぐために、「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」その隆盛を築いた本間家3代当主の本間光丘(みつおか)は私財を当てて海岸線に植林事業を進めた。ほかにも、遊佐町では佐藤藤左衛門・藤蔵父子も同様に造り酒屋の私財を投じて植林に努めるなど、風の町であることがわかる。

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【2005/12/26 21:52】 | 諸々雑感
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