こちら庄内平野ど真ん中の人間。庄内の自然豊かで芳醇な文化、人々の暮らしを気ままにつづっています。
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秀衡の死が…(NHK「義経」より)中尊寺金色堂奥州・藤原氏は、豊かに産出する砂金をもとに平泉に荘厳華麗な文化の花を咲かせます。日本屈指の大都市がみちのくで繁栄を誇ったのです。
鞍馬山を出た義経が平泉に向かったのは16才のとき。なぜ平泉に向かったのかは諸説あります。
北の王者といわれた藤原秀衡は、義経をあたたかく迎えてくれます。義経は、弓馬を、奥羽の山野を駆け巡りながら、鍛錬に励むのを日課として、6年の年月を平泉で過ごしています。
平家討伐後、頼朝から追われる身になり、義経は再び秀衡のもとに身を寄せました。変わらぬ愛情で迎えてくれた秀衡でしたが、秀衡が1187年に病死後状況が変わります。息子の泰衡は、頼朝に従い義経を襲撃し、ついに義経は1189年衣川の館で自刃し31歳の短い生涯の幕を閉じたというのが史実とされています。
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【2005/12/04 06:12】 | 義経伝説
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