こちら庄内平野ど真ん中の人間。庄内の自然豊かで芳醇な文化、人々の暮らしを気ままにつづっています。
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 「一ノ谷合戦・二度之懸図屏風」(岐阜博物館蔵) 義経と兄範頼は一ノ谷に向けて出陣。範頼率いる一万余軍は、生田の森正面へ。鵯越の逆襲一方義経は三千余騎を従え一ノ谷の後方に進んだ。  義経は、途中、三草山での戦いを夜襲により制し、一ノ谷平氏本陣の背後、鵯越に兵を進めた。しかし、そこは人馬が駆け下りることは不可能と思われる岩壁の頂上だった。、義経は、自分を手本にせよと言い、先頭をきって駆け下った。それに続いて大勢が一気に駆け下った。これが世に言う「鵯越の逆落とし」という奇襲戦法である。「鹿が降りられるところを馬が降りられないはずはない」といったエピソードは有名。
 義経軍が不意をついて下りてきたため、平氏軍は混乱。安徳天皇をはじめ平氏軍は沖の船に逃れ、屋島へと敗走を始めた。
 しかし、ここでの疑問は、全く土地勘がない義経がなぜ、3日ばかりでここを攻略できたのかということだ。ここに戦の天才といわれる伝説がうまれる所以がある。
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【2005/12/03 21:30】 | 義経伝説
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