こちら庄内平野ど真ん中の人間。庄内の自然豊かで芳醇な文化、人々の暮らしを気ままにつづっています。
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勧進帳「安宅の関」の原型となったと言われている。義経一行が北陸道を平泉の藤原秀衡を頼って奥州へと逃げる途中、渡守の平権守(たいらのごんのかみ)に、「判官殿だ」と怪しまれるが、「弁慶が「加賀の白山より連れてきた御坊だ」と言って、嫌疑をはらすために扇で義経を打ちのめすという機転で切り抜け、無事に乗船できたという一節」は、かなり有名な話となっている。

ここ「如意の渡」は、「義経記」によると、源義経が1187年、奥州に落ち延びる際に通ったと伝わる渡船場。渡守に正体を見破られそうになるが、嫌疑を晴らすために弁慶が扇で義経を打ちのめした。歌舞伎の「勧進帳」の原型となったという。 しかし、安宅の関などと比べると、知名度的には今ひとつだが、しかし…。

 

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【2005/12/01 03:16】 | 義経伝説
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