こちら庄内平野ど真ん中の人間。庄内の自然豊かで芳醇な文化、人々の暮らしを気ままにつづっています。
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 伝説によれば、頼朝静の舞に追われた義経の後を追い、福島県郡山市に着いた静御しずやしずと呼んでいる(NHK「義経」より)前は義経の訃報を聞いて身を投げた池は、美女池呼ばれ、後に供養のために静御前堂が建てられた。
 その連絡を郡山で聞いた静御前は、翌日、郡山の地元で世話になった人たちを集めて、義経供養に舞を披露すると申し入れた。
 宿泊していた長者屋敷には舞台があり、鎌倉八幡宮と同じように、静御前は白拍子姿となって舞う。その後、「京に戻る」と言い残して、静御前は近くの美女池に身を投げた。文治5(1189)年。22歳だったと伝わっています。
 *写真は、「南陽市の菊祭り」より

静御前は、文治元年、源頼朝に鎌倉に招かれ、鶴岡八幡宮にて頼朝と政子夫妻の前で、 
 「吉野山峰の白雪ふみわけて 入りにし人の跡ぞ恋しき
 「しずやしず賤のをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな
と歌を歌います。義経を恋う、強い思いたっぷりの歌を聞いた頼朝は激怒したそうですが、政子に諭されて、幽閉を解いて京へ帰ることを許したと言われています。
 容姿端麗な静が 義経への想いを、扇立烏帽子、太刀をはき、男装で舞ったとされていることから、毎年4月、鎌倉祭りのイベントとして「鶴岡八幡宮舞殿」にて静の舞いが奉納されています。
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【2005/11/26 03:22】 | 義経伝説
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