こちら庄内平野ど真ん中の人間。庄内の自然豊かで芳醇な文化、人々の暮らしを気ままにつづっています。
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文字色 青森県の八戸市(はちのへし)には、義経が三陸海岸に沿って船で逃げのびて来たという伝説がある。義経は平泉では自刃せず、ひそかに脱出したとされる地名として残っている

 義経は、思い出多い平泉を後にして、海路、八戸に上陸ししばらくここで暮らしたという。その地名が、源氏のお屋敷という意味の「源氏囲内」(げんじかこいない)という地名で今も使われている。
 義経は、ここ現地に生息している「南部馬」での騎馬を使った決戦も覚悟していたと地元の人は言う。珍しい名前だが結構多い

 このときに、義経は、身の回りの世話をしてくれた娘と恋に落ちたという言い伝えがある。義経に見初められたこの娘は、義経自身の名前の「判官」(はんがん)という姓を名乗るようにといわれた。しかし同じ名前ではあまりにも畏れ多いとして一文字を変えて、「法官家」(ほうがん)と名乗ることにしたという。現在も「法官家」は地元には多い。さらに、町はずれには「高館(たかだて)」と呼ばれる丘があり、義経が平泉の「高館(たかだち)」に重ね合わせたためその名が付いたといわれている。

 もしこれが義経一行の足跡痕跡だとするなら、何を物語るのだろうか・・・。

みなさんのおかげです








【2006/04/26 05:18】 | 義経伝説
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