こちら庄内平野ど真ん中の人間。庄内の自然豊かで芳醇な文化、人々の暮らしを気ままにつづっています。
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尿前の関付近 今から800年前、義経は日本海沿いに北上し、最上川をさかのぼって平泉を目指していた。
 そして、それから300年あと、今度は、俳人松尾芭蕉は、江戸・深川を出発。平泉を経由し最上川を下り日本海沿いを南下し、美濃(岐阜県)まで150日の旅を始めた。
 歴史上の二人が、時代を超えて奇しくも同じく最上川を通ったことは、単なる偶然ではないような気がする。芭蕉が義経伝説に心を動かされ、その物語と歴史への追懐の気持ちから、義経がみちのくへ落ちのびた道を通らせたのではと想像してしまう。「300年前、ここを義経も通ったのか。」と。
 わたしは、歩いてみて初めて気づいたのだが、芭蕉の「蚤虱馬の尿する枕元」以来、「尿前」という地名がついたとてっきり思っていたが実はそれは全くの勘違いだ。「おくのほそ道」には、「なるごの湯より尿前の関にかゝりて、出羽の国に越んとす。此路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関をこす。」と尿前の関でを通過するのに一苦労したことが記述されている。
 となると、

「尿前」の由来は、いくつかの口碑にあるように義経一行の動きにあるという方が説明がつく。
 境田の峠を越して、平泉藤原氏の領内に到着して、ほっと安堵の胸をなで下ろした。緊張感から解放され、北の方は、人の前もはばからず、放尿したので、「尿前」と名付けられた。
 北の方が出産した亀若丸が初めて小便をしたとということから名付けられた。
 北の方が産後の旅疲れが、一向に回復せず困っていたところ、山鳩がイカリ草をくわえて舞い降り、北の方の口に含ませた。すると途端に痛みが治まった。このとき北の方が苦しみの余り尿をもらした。
と、奥方とのことに由来を求めることができるようだ。


【2010/08/29 13:48】 | 義経伝説
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